龍華荘

写真とsimutrans。ポエム。

質問者と回答者のための 1 on 1 フレームワーク

前略

www.kaonavi.jp

 

1on1ミーティングとは部下個人を中心としたミーティングです。上司による部下の目標管理や業務の進捗管理だけが目的ではありません。1on1ミーティングは月に1回~週に1回といった定期的なペースで行い、部下が仕事を通じて得た体験や課題、悩みを上司と共有します。上司はその内容にフィードバックをして、部下の成長を促します。

まぁ、いわゆる面談というものをかっこよく言った形が「1 on 1」とおぼえておいても損はないです。やってることは実質面談なので。ぶっちゃけかっこいいと言いたいがために1 on 1などと言っています。こういう感覚って大事ですよね。

 

質問と回答は基本形が1対1、故に1on1とよく似た形態を持っており、逆に1on1を分解して質問と回答を図解してみよう!ということでサッと1品書いてみました。

 

ちなみに、読むのがめんどい方は各見出しと1行ぐらい読んどけばいいです。

この記事の文字数はだいたい4700文字程度なので、早い人は11分程度で読めるとおもいます(たぶん)

 

 

1. そこに相違点はあるか

質問と回答ってどんなトポロジーなの?ということで、簡単に図に表しました。

  質問者

質問↓ ↑回答

  回答者

何の変哲もない、一般的な送信と返信と変わらない形ですね。

この図は単に理想の状態で行った質問と回答を示したものであり、現実の状態を図解したものではないからです。そもそも、一般的に質問と回答は1送信1回答であることが多いので、図解する機会がまずないと言っても過言ではありません。

 

1on1MTとどこにそんな近似したものがあるのか?ということですが、

まず1on1MTでは上司が部下に対して「部下の状態はどうか?」「部下と上司間でなにかできるものはあるか?」といったものを定期的に会話をします。

1on1MTでは基本的に"質問と回答"になりがちですが、着地点はマネージャがメンバーの状態を知ることにより、マネジメントの面と実際に動く人の両方でお互い損失を無くしましょう誤解も減らしましょうというところになってたりします。

今回の質問と回答、"もう一つの1on1"では、着地点が回答者は質問者の問題を解決するか軽減させるという点であり、一般的な1on1MTとは少し意味合いが異なります。

どちらの1on1でも「情報をやり取りする」行為自体が9割を占めており、残った1割は目的の達成に使われます。情報を与えることで目的を達成させる点においては、質疑応答に変わりはないという事です。

実際の例ではよくあるのが、問い合わせに対して的外れな回答、なんかだったりします。もっと具体的に書くと、1 + 1は味噌スープ。

 

2. 情報をくれ!

回答の質を左右するのは情報の量です。

1on1MTではマネージャとメンバーの状態、今回の"1on1"では質問者の状態をできるだけ正確に見極めなければいけません。しかしどちらの1on1も一方通行のコミュニケーションでは失敗するので、1on1MTではマネージャとメンバーの発信力、今回の"1on1"では質問者と回答者の情報収集能力が求められるわけです。

ネット上ではよく「こんなのわからねぇ!」が点在しますが、その点在したものを集めると意外と問題解決の糸口が見えることもあります。日本語英語・言語非言語を問わず情報を収集することで、より糸口を広げることもできます。

逆に言ってしまえば「一発で初見の問題を解決することは不可能」であり、それができるとしたらメンバー(質問者)かマネージャ(回答者)が凄い超能力を持っているか以前に同様の経験をしているかのどちらかと言っても良いです。

 

 もし、質問する側になったら情報量を意識したいところですが、中々そういった心がけを実践するのは難しいでしょう。なぜならはっきりと明文化されている機会が少なく、「いたって自然のコミュニケーションだから」という理由で認識の時点から既に曖昧なものと化しているからです。1分おきにスマホを開く人が常に「何をしよう」と考えて開く人はいません。

 

また、抽象的な質問から具体的な質問に移る際によくぶつかる点は「言語・非言語の壁」や「伝達可能な情報量の制限」なども挙げられます。用いる手段によっては様々な制限を受ける事があり、制限を緩和させるには別の工夫も必要です。詳細は次項で触れますが、基本的に制限を撤廃させることはできません。メールだと感情は伝えられませんし、しゃべるだけではデータは送れません。

 

情報がある < 情報がない

ただし、0より0.1である事こそが回答者にとっては重要のため、極力伝える努力も質問者が行う必要があります。 

 

質問に回答が来た時の情報量

 質問者の情報量 = 回答者の情報量

最終的には質問に対して直接の情報量はお互い等しくなります。どちらも質問を解決するために十分な準備が備わっており、どちらか片方だけでも最低限は問題を解決できるようになります。

 

そして必ず、質問者も回答者も片方が上位に立つことなくお互い同じ立場であることも必要となります。

質問者と回答者の力関係

 質問者 = 回答者

 質問者と回答者はあくまで等しくなければ問題の解決には至らないでしょう。力関係に至っては、理想論としか言えないのが現状ですが、回答者は質問者の立場をよく汲んでおくと質問者が誤解を持ちにくくなります。

  

情報を与えることに関しては、いわゆる「馬・しっぽ・毛」と呼ばれる図式にあてがってしまう方が楽です。あくまで対面に限った場合ですが。

www.suruga-ya.jp

うまくリンクが貼れなかったので駿河屋ですが。

amazonにも中古として置いてたりします。(中古でどえらく安いのですが、一見しておくだけでも結構価値があります。) 

この本の中で、人間の知識はいかに伝えられないかと触れていますが、あながち間違いでもなく、できるだけ質問・回答の双方の中で伝えた情報の中でもほんの一部しか伝えることができません。

 

例えば一人の男が表情たっぷりに「や、ありゃ短剣か、あそこに見えるのは、鍔はこっちを向いて」と朗読したことに対して、それを見た警官が飛びかかってきた話を指しています。男の表情があまりにも現実味のあったものであったたため、警官がそれを見てしまい誤解をしてしまったという事が記述されています。

文中では、言葉面で表情が大事であるとだけ触れていますが、実際のコミュニケーションでは表情や声の張り方等のたくさんの属性が会話の中にあふれています。この溢れている属性を活かすことでより質問の意図に合った回答を得られやすくなります。所謂、コミュニケーションで「表情だ!」と言われているのはこの部分だったりします。

 

1対1で質問・回答をする上でなあなあにうまく丸め込めるには、逆に表情を使ってしまうことも手かもしれません。無表情で話をしてしまえば、大概の場合で相手のやる気を削ぐことができます。しかし先述のトポロジーに合わせるためには自身の表情をうまく埋め込むのを意識することにより、本来必要であった情報の他にも追加で訳に立つ情報も得ることができます。

元々、カメラのレンズが欲しいという場合に「このようなレンズが欲しいのです」と伝えると思いますが、追加で「このようなレンズをこういう用途に欲しいです。たぶん難しいでしょう。」とすることで、店員からは「こういうレンズが欲しいけど、多分イメージでこういうのも欲しいんだろう。」という追加の属性を質問へ付与させることもできます。よほどでなければ店員は品物をしっかり顧客の的に合ったものを売りたいですし、顧客である貴方にとっても目的に合った商品を紹介してもらえるかもしれません。

上記の例では、レンズでしたが具体的に「こういう」を付与することで、何が欲しいかをあやふやではあるものの軽いイメージとして回答者に伝えることができます。特に「用途」を伝えることで、回答者の持つ知識と質問者の持つイメージを回答者の判断と経験からより質問者の欲しいレンズと導き出すことが可能となります。逆にレンズのスペックだけ挙げても、回答者にとってはレンズ一つひとつの持つ特性にまでは踏み込めないことから、レンズの目的を持たないままあやふやな根拠を持って回答してしまうこととなります。

これは特徴の持った商品を紹介する上では必ず発生することであり、特に商品を用いて作品や芸術を表現する上では必ず当たる壁とも扱うことができます。

情報を与えることも大事ですが、その情報に関してどのような情報であるか、また情報がどのような特性を持っているかに関して着目することで、回答者に与える情報の質が大きく左右されます。

 

3. 0かそれ以外

 さあ!質問をしてみましょう!議題は貴方の性格についてです!

と言えば誰もが混乱するでしょう。理由は単純明快、どれほど表現したところで言葉の壁は超えられないからです。

このサブタイトルにある性格は、いわゆる抽象的なものですが伝える場合は言語化が要るので「言語・非言語の壁」が必ず付き纏います。例えばゴッホの自画像に至っては「悲しい」「悲壮感」「困惑」などの単語は出てきますし、「ゴッホは恐らく精神的に混乱しているのだろう」と推測することもできます。しかしながら万人に対して的確な表現ができるかと聞かれれば難しいでしょう。

 

相手の知識や性格を知ることである程度は相手に合った表現を用いることも可能で、質問の内容如何によってはむしろ雑談から入るのが良い事もあります。逆に、いつも忙しい人にとっては質問だけを投げた方が良い場合もありますね。

 

抽象的な方が良い質問

 ・回答者の共感を欲する

 ・芸術や感覚に対するもの

 ・絵や音楽で表現する

 ・手段が限定される

具体的な方が良い質問

 ・質問回答両者のすり合わせ

 ・認識や知覚に対するもの

 ・文字や文章で表現する

 ・手法が限定される

 

学校に限らず教科書通り、セオリーの通りにやることももちろん大事ですが、質問の本質は相手に回答をさせて問題の解決策を導き出すことです。逆に言えば様々な手段を組み合わせて使う事も自由であり、ブログの1ページに"一種の質問"として様々な方に問いかけるということもできます。形態も様々ですし、受け取る・発信するの双方においてどのような形に至るかはその場その場に依ります。

例えばサグラダ・ファミリアも「人類に対して投げかけた、続ける事は何か?」という問いかけと取ることもできます。あくまで考察ですが。逆に一人でいる時に「何をしよう?」と自身に問いかけますが、一種の口癖になっている方もいます。実際、質問と考えるか、呟きと考えるかの線引きは難しいかもしれませんが。

何事も100%は存在しないとはよく叫ばれますが、質問と回答においても例外は無いでしょう。

逆に言えば情報さえ渡ればいいのです。うまく言語化できないような場合は、お互い様なのでお互い協力していきましょう、なわけです。

 

4. お互い信じ込まないこと

思い込みだけでは問題は解決しません。

相手が何をしてほしいかをしっかりと聞いて読み取ることが大事です。

 

質問者は回答者の的確な答えを望み、

回答者は質問がこれ以上来ないことを望む。

しかし、中々円満に解決することができない。

 

質問者も回答者も問題が解決する事にのみ専念してしまう事がありがちですが、基本的に100%はあり得ません。単に質問者がただ聞いて欲しいといった場合もありますし、回答者は適当に過去の事例から回答しているだけかもしれません。文字・言葉によるコミュニケーションは文面以上の事を読み取ることはできませんし、むしろ試みる事は相手を疑うことになってしまうので、推奨されません。

最終的な目標をしっかり踏まえるのは勿論、ただしお互いが円満に解決しうるか否かは質疑の情報量とお互いの知識量に左右されることとなります。故に解決に至らないケースもある他、単に質問では無かったという可能性も否定できません。特にネットのQAにおいては質問した側が何も謝辞を述べずに放置する、回答者が質問に対して罵声を浴びせるといった例がありますが、まさしく力関係が等しくない典型とも呼べるでしょう。

 

・情報量が完全に等しくなった時点で問題は解決する

・どちらか片方のみでも問題を解消することが可能である

以上の2つが達成されることで問題は解決する事となりますが、

 

・質問者の情報量が少ない、内容が非常に抽象的である

 例)今日は料理を作ったけど、味に関して教えて欲しい

この場合は話を聞いて欲しいというケースにあたりますし、

これに対しての返答が

 

・回答者の情報量が希薄

 例)悪くはなかった

となれば回答者はこれ以上の質問を望まない、とも取る事ができます。

 

ただしこれは一例であり、先の回答の後に質問者が「より工夫をかけて作ったんだ」と続けることもありますし、逆に回答者が「どのように作ったのか?」と質問者になることもあります。

 

・質問者と回答者の力関係

 質問者 = 回答者

 ※ただし、あくまで質問と回答における関係

 あくまで質問と回答は1つの対であるため、「質問に対して質問をしてはいけない」という言葉は一種の禁句です。回答者が質問を行う場合、回答に何らかの問題を必ず抱えているため、質問者は協力する必要があります。ここで「質問に対して質問をするな」と返してしまうと、質問者の方が立場が上になってしまい、今後の質疑や1on1MTのような対面の場においてよくない影響を与えるのは必須でしょう。あくまで回答をする立場、質問をする立場とされていますが、どちらか一方が非協力的では解決は不可能でしょう。

 

 5. 質問はあくまで手段であり、解決に至る銀の弾丸ではない

問題を解決するのに質問が必須である状況は、もっぱら質問者の情報量が少ないことに起因するものです。

もし、自力で調べられるのであれば極力自力で調べることが好ましいですし、逆に好ましくない場合もあります。解決に至る方向性は無数に存在し、かつまっすぐである保証もありません。

 

方向性が正しいか否かはあくまで質問者の観測による、解決された状態となった時点で初めてその状態になります。「この問題は解決していない!」と思ったのであれば何らかの言葉は掛けても良いのですが、質問者は基本的にいい顔をしません。

 

質問の場においては必ず質問者が観測の中心であり、質問の全てを司ります。かといってパワーバランスが偏っているわけでもありません。そこが質問の難しさであり、質問と回答に於いての発端です。質問者・回答者のどちらも満足に解決できるよう、お互いがお互いを尊重して初めて問題が解消します。

 

6. Q. 質問をする時はどうやって質問をしよう?

 A. 回答者のフォーマットに合わせるのが無難です。なぜなら、回答者が欲しい材料が揃っていることが多いからです。さあ一言!「どのように答えたらよろしいですか?」

 

Q. 内容が足らないよ、どうしよう?

A. 足らないものを質問しよう!回答をもらった中で何が解決に必要か、考えてみよう!

 

Q. 安直に4000字も書いて何がやりたいんですか?

A. 自己満足